全国高等学校デザイン選手権大会25周年に寄せて
「デザセン」という名のイノベーション
武蔵野美術大学学長 長澤忠徳
四半世紀も続いてきた「デザセン」。東北芸術工科大学のその継続開催への努力に、心からの敬意を表しながら、私は今、デザセンを発案した当時のことを回想しています。新たな発想で創立された東北芸術工科大学に着任したばかりの私には、「デザイン」への理解がまだ偏見の中にあった情況を、この機会になんとか打破しなければ…という「意志」がありました。そして、「一歩踏み出せば、きっと何かが変わる!」と信じてもいました。
人が何かをしようとする時、そこには「意志」がありますね。その「意」という文字は、「心」と「音」から成っています。自分にしか聞こえない「心の音=意」は、何らかの手段で身体の外にださなければ、誰にも伝わりません。それこそ「表に現す」こと、つまり「表現」です。表現されたものには、「意図=心の音の、図りごと(デザイン)」があります。表現を発露とする芸術行為の原点は、「心の音」を聞くことから始まります。人々の暮らしも、科学者の閃きも、とても芸術的です。だからこそ、人類の歴史とともに「芸術」が息づいているのです。そして、「心の音」こそ、人それぞれの個性です。そこには、美術やデザイン、文系、理系など、細分化された「ジャンル」の壁など一切無いのです。専門性は、社会活動を効率化するために、人間が時間をかけて築いてきた「壁」に囲まれています。時間の経過とともに固くなってしまうその偏見を生む壁を、なんとかして打破しよう…という「意図」が、「デザセン」には込められています。
コンペの運営側が課題を設定し、応募者が競い合う従来型のデザインコンペのスタイルを捨て、「課題発見がテーマです」と銘打ったこの「デザセン」は、まるで青天井の問いかけをストレートに具体化したものです。高校までに学んできたあらゆる知見や経験を総動員して、自らの問題意識を他者と共有するクリエイティブな試みです。
芸工大生が参加の高校生をサポートするスタイルも、初回大会から始まり、今も継承されています。高校生も大学生も教職員も観衆も、関わる者全員がコラボレーションして、それぞれの立場での学びを実現するこの「デザセン」は、それ自体が、従来のスタイルを打破するイノベーションでもありました。今や「デザセン」は、日本のクリエイティビティ発揚への壮大な意識改革ムーブメントの役割を担っていると思います。
事実、「デザセン」は、この四半世紀の間に、いくつもの教育的なイノベーションを起こしてきました。デザセンが使った「プレゼンテーション」という言葉が、今では学校教育でも一般的になり、「課題発見」は、世代を超えた実社会の重要な取り組みとなり、アクティブ・ラーニングも定番の学びのスタイルになりました。イノベーションは、「偏見」との闘いです。だからこそ、「若い眼差し」が必要なのです。「心の音」が発する「どうして?」「なぜ?」という奔放な「問い」こそが、イノベーションの原点です。訳知り顔の大人たちに「仮説の正解をぶつけてみる」ことは、「偏見」を超越して未来社会を拓いて行く有力な方法です。それが、正しいかどうかは、その後の話。
文明の進化とともに、今、私たちは、次代への態度がどうあるべきかを再考する必要に迫られています。これまでの思考法では、次代は立ち行かないのです。「デザイン思考」が注目されるのも頷けます。そもそも個人的な「心の音」が、自分以外の人々の理解を得るには、自分を信じて、さまざまな困難に耐え、「折れずにしなって」、その「心の音」をしっかり「表現」しなければなりません。多感で、思考力も協調性も備わった高校生という括りの人生の一期間、次代を拓くための「デザセン(全国高等学校デザイン選手権)」へのチャレンジは、その後の人生に大きな影響を及ぼす貴重な体験になります。「デザセン」は、次代へのイノベーションのプラットフォームなのですから…。